2009年05月08日 【DIRECTOR】
クリエイティブディレクターの秋元です。
お久しぶりですみません。。
忌野清志郎さんが亡くなりました。
本当にショックです。。
正直言うと悲報を聞いたときはショックというか全く実感がわきませんでしたが今では毎日、いや毎時間づつ悲しみが深くなってきています。。
もうあんな人は二度と現れないです。
音楽業界は大切な人をなくしてしまいました。
そして何より僕たちが大切な人をなくしてしまいました。
彼の死については何も言えないのですが
小さい頃からの思い出だけが蘇ります。
小学校の頃、YMOのファンクラブに入るほど大ファンだった自分は、
YMOファミリーだった、シーナ&ロケッツとかを聞き出して
その流れでRCサクセションに出会いました。
最初に買ったシングルは『ボスしけてるぜ』でした。
その歌声や歌詞にとてもショックを受けましたがすぐに夢中になりました。
当初家にウクレレしかなかったので自分は一生懸命ウクレレで『雨上がりの夜空に』の練習をしていましたが見かねた親父がフォークギターを買ってくれました。
『Yeahhhhhh...at武道館』はカセットテープのみの発売だったので聞きすぎて回転数がおかしくなりました。
坂本龍一との『い・け・な・いルージュマジック』なんて
自分にとっての日本の3大アイドルの2人(もう一人はジュリー)の
衝撃的なユニットだったのでとても興奮した事を覚えています。
擦れ切れる程、レコード(ドーナツ盤)を聞きました。
特に歌詞にとても影響を受け、
同じ多摩地区に住んでいた事もあり
『多摩蘭坂』を見に行ったり、
歌詞に地名を使う清志郎さんの真似をして
実家の前の通り名の詞を書いたりしていました。
ヒドい内容でしたが(笑)。
ホントに『トランジスタラジオ』のようにタバコを吸って停学にもなりました。
すぐに洋楽に夢中になり、一時洋楽しか聞かなかった自分に
再び日本語詩の素晴らしさを教えてくれたのがRC、清志郎さんでしたし、
彼のおかげで洋楽と邦楽を分け隔てなく同じように聞けるようになりました。
いつしかMOONはお月様という表現に変わりました。
『COVERS』の問題や"タイマーズ"での活動では
音楽に向かう姿勢や自分のスタイルを貫く意思、音楽に対しての覚悟など多くの事を学びました。
教えたつもりはないでしょうが(笑)。
海を越えた世界のパンクよりも身近なパンク。
とても説得力がありました。
反骨心とか反戦とかに注目されがちですが
何より彼は音楽で世の人々を、そしてファンを心から愛し、楽しませていました。
この姿勢は自分の仕事にも大きく影響しました。
今考えるとホント人生の節目節目で
清志郎さんからの影響を少なからず受けていたんだと思います。
いまだに彼の死を実感できませんが
じわじわと悲しみが増してきています。。
帽子を通じてやっと彼と出会う事ができたのにもう彼はいません。
これから色々なお話をしたかったです。
ただ清志郎さんの残した素晴らしい作品は沢山あります!
肉体はなくなりましたが
作品を通じて彼と会話する事はできますし、
歌から教わることはまだまだありますよね。
そう信じて生きていこうと思います。
書き出したら止まらないのでこの辺にしておきます。
清志郎さんのご冥福を心からお祈りいたします。
今まで本当にありがとうございました。
清志郎さん、またお会いする日まで。