帽子の肖像 Profile.30
小西康陽
帽子が本当に似合う人。それは格好良く年齢を重ねた大人かもしれない。
スタイルの変遷、年輪が醸し出すものが、帽子をかぶった肖像に現れる。
連載「帽子の肖像」では、2枚のポートレート写真、そして5つの共通質問に対する短い言葉から、帽子の達人たちの肖像を浮かび上がらせます。
連載全30回を迎え、最終回となる今回は、音楽家の小西康陽さんが登場。
小西さんを象徴する“あのハット”、そして「いつかかぶりたかった帽子」も登場。

小西康陽
“必要じゃないのに一生懸命選ぶのって、
やっぱりこだわりがあるんだと思うんですよ”
あなたが帽子をかぶり始めた時のことを教えてください。
子供の頃は学生帽とかもかぶるのが好きじゃなかったんです。自分でかぶりはじめたのは、オシャレに目覚めた大学生になってから。僕は北海道出身ですが、北海道の人間って、雪が降ってもあまり傘は差さない。その習慣が身に付いちゃって、僕もよっぽどの土砂降りじゃない限り傘は差さないんです。大学の頃に雨よけ代わりに買ったのが、「Barbour」のオイルドのレインハット。いつもヨレヨレになるまでかぶって、今はもう3代目。若い頃は似合っていないような気がして、「早くハットが似合うようになりたい」と思ったもんです。
あなたが憧れる(憧れた)帽子をかぶる人とは?
僕が大学の頃に通っていた渋谷の喫茶店で、(フォークグループ)「武蔵野タンポポ団」のメンバーだった若林純夫さんがアルバイトしていたんです。当時の若林さんはオシャレに命をかけていたような方で、ファッションのことも色々教えてくれました。ハットのかぶり方も若林さんから。あとはザ・バンドのファーストアルバムの内ジャケットでメンバーが帽子をかぶっている写真、コリン・ブランストーンの『1年間(One Year)』の裏ジャケのアライグマみたいな帽子とか……、音楽関係ならいくらでも出て来ますよ(笑)。
あなたが帽子をかぶる時に気をつけていることを教えてください。
若林純夫さんに注意されたのは、「帽子をかぶるときには前髪が出ないように」ということ。それはずっと意識していましたね。昔の映画とかを観てても、そこが気になってしまうくらい(笑)。ピチカート・ファイヴを解散した2001年頃から長年トレードマークにしていたバケットハット(今回のメインカットのもの)をかぶる時は、常に目深にかぶって、自分の目が見えないようにしていました。たまにカメラマンから「目を出してください」とか言われると、そこで撮影は終了(笑)。白髪になってからは普通にかぶるようになりましたけどね。
今日かぶっている帽子について、教えてください。
今日持って来たのは2つあって、ひとつは2001年頃から20年くらいトレードマークにしていたバケットハット。自分の顔をうまく隠してくれそうだなと思ってパリで買ったもので、すごく安かった記憶があります。もうひとつは、いつかこんな取材が来るだろうと想定して(?)、パリの民芸品店で買っておいたハデな帽子(全身カットで着用)。たぶんどこかの国の民族衣装だと思います。ずっとかぶりたいと思っていたけど、DJの時にこんな帽子だったらみんな反応に困るだろうし、出番がなくて。やっと陽の目を見る時がやってきました。
あなたの人生にとって帽子とは?
昔から帽子と音楽の関係って面白いなと思っていて。レゲエ好きな人はニット帽、スカが好きな人はポークパイハット、ヒップホップはベースボールキャップ、大阪でブルースのイベントに行くとやたらキャスケットの人が多かったり(笑)。特定の音楽コミュニティで、帽子は秘密結社の暗号みたいになっていますよね。僕はネクタイも好きなんだけど、今の時代に帽子もネクタイもそれほど必要じゃないのに一生懸命選ぶのって、やっぱりそこにこだわりがあるからなんだと思うんです。帽子って、その人の好きなものやこだわりが出るものなんですよ。

撮影:清水健吾
編集:武井幸久(HIGHVISION)
小西康陽 /
Yasuharu Konishi
1959年、北海道札幌市生まれ。1985年、ピチカート・ファイヴのメンバーとしてデビュー。豊富な知識と独特の美学から作り出される作品群は高い評価を集め、1990年代の“渋谷系”を代表する1人に。ピチカート・ファイヴ解散後は、作詞・作曲家、アレンジャー、プロデューサー、DJとして多方面で活躍。ソロプロジェクトPIZZICATO ONEとして、3枚のアルバムをリリース。2024年、小西康陽名義で、1stアルバム『失恋と得恋』リリース。ライヴ活動も積極的に行なっている。
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