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CMC|LITE|底辺からリスタートして、海外でのポジションを確立するまでの転機

CA4LA MUSIC CONNECTION vol.3
LITE

底辺からリスタートして、海外でのポジションを確立するまでの転機

 


 

アーティストたちにとって、作品を生み出す過程やその時々の活動の源泉には、必ず何かの転機が存在している。

CA4LA MUSIC CONNECTION」は、アーティストのみなさまに、ご自身の活動のターニングポイントになったことをインタビューを通してお答えいただく連載企画。

第3回目にご登場いただくアーティストは、LITEのみなさん。

2006年のUK・アイルランドツアーを皮切りに、アメリカ、ヨーロッパ、アジアといった世界各国でのツアーを成功させ、海外進出の先駆者的な存在となった4人組のインストロックバンド=LITE。昨年にはデジタル時代のファンとのコミュニケーションを再定義するアプリ「The Roomをリリースし、コロナ禍に見舞われた2020年においても、リモートでの同時生演奏が大きな話題を呼ぶなど、これまで常に他の誰もやっていないことを実現させてきた、真にイノベイティブなバンドだと言っていいでしょう。10月にはまたしても初の試みとなるLITE Online World Tour 2020 at FS.を開催することも決まっている4人に、海外ツアーを軸とした挑戦の歴史について聞きました。

Text by Atsutake Kaneko
Photo by Kana Tarumi

 


 

Interview:LITE

 

「僕の中で2018年のヨーロッパツアーはまさにターニングポイントで、「今この音楽をやってていいのか? このジャンルをやってていいのか?」って、途中からずっと感じてたんです」(武田)

 

 

 

LITEが初めて海外ツアーを行ったのは、2006年のUK・アイルランドツアーですね。どのような経緯で実現に至ったのでしょうか?

 

武田信幸(以下、武田) バンドとして海外に行きたいねっていうのはフワッと話していた中で、2005年の年末に下北沢ERAと新宿MARZで2日続けてライブがあったときに、パトリックっていう人からバンドのメールアドレスに「いま日本に旅行に来ていて、君たちのライブが観たい」っていうメールが来たんです。英語で問い合わせが来たのが初めてだったから驚いたんですけど、実際にERAのライブを観て、すごく気に入ってくれて、ライブ終わった後に一緒に飲みに行って。で、翌日のMARZのライブにも来て、また飲みに行って、そうしたら突然「俺はレーベルをやりたくて、その第一弾としてLITEを出したい」って言い始めて、それが発端ですね。

 

そのパトリックさんと一緒に2年続けてUK・アイルランドツアーを回り、2007年には実際にパトリックさんのレーベルである「Transduction Records」から海外リリースをしているわけですが、そもそもパトリックさんは何者なんですか?(笑)

 

武田 パトリックは、ただのマイク・ワット(MinutemenやThe Stoogesのベーシストを務めた、USパンクシーンの伝説的存在)のファンです(笑)。アイルランド人で、職業はグラフィックデザイナーなんですけど、80年代のUSインディとかが好きで、自分自身プレイヤーでもあるので、パンクロックに憧れてる一面があるんですよね。なので、その憧れを僕らに重ねて、青春を取り戻そう的な感じがあるんだなって……それは後々気付くんです(笑)。

 

 

井澤惇(以下、井澤) だから、パトリックにとってのツアーはパンクロックのツアーで、「寝床がないのが普通」みたいな感覚。で、俺たちも海外ツアーなんてしたことなかったから、それが普通だと思ってたけど、後になって、「そういえば、おかしかったよね」っていう(笑)。

 

武田 「何で寝袋持ってこねえんだ?」ってキレられたり(笑)。

 

楠本構造(以下、楠本) パンク原理主義みたいなところあるよね(笑)。

 

山本さんにとっては、その頃のツアーはどんな印象ですか?

 

 

山本晃紀(以下、山本) 2008年のヨーロッパツアーが一番大変で、その前のUK・アイルランドツアーも大変は大変だったけど、何だかんだ楽しかった印象ですね。そもそも海外ツアーが初めてだったし、しかもお客さんめちゃめちゃ盛り上がってくれて。特にパトリックの地元のダブリンはめちゃめちゃ盛り上がった覚えがあります。

 

2008年のヨーロッパツアーが一番大変だったというのは、どんな理由ですか?

 

 

山本 まず単純に、長かったんですよ。一か月で27本とかで、前半はレーベルメイトだった54-71とUK・アイルランドを一緒に回ったんですけど、まだその頃はパトリック譲りのパンク精神でツアーをしてるので、基本プロモーターや対バンの人の家に泊まるんです。そうすると、ホストの人たちがもてなそうとしてくれて、毎晩パーティーで。

 

こっちとしては休みたいのに(笑)。

 

 

山本 その頃は僕らもそういうもんだと思って、ずっと付き合ってて、「日付が変わってもどこで寝れるかわからない」みたいな、そんな毎日だったんですよね。

 

武田 そういう笑えるエピソードもあるんですけど、僕の中でそのツアーはまさにターニングポイントで、「今この音楽をやってていいのか? このジャンルをやってていいのか?」って、途中からずっと感じてたんです。ポストロックとかマスロックと呼ばれるような音楽はもうやり切ったんじゃないかって、ずっと感じながらのツアーだったので、メンタル的にも結構きつかったんですよね。で、そのツアーが終わったタイミングで、「一回燃え尽きた」みたいな、体もそうだし、メンタル的にも一回やり切った感じになって。2008年にもみくちゃにされて、底辺からのスタートというか、一回ゼロに戻して、シンセを入れてみたり、いろんな方向性を試し始めたんです。

 

井澤 ヨーロッパツアーは『Phantasia』のツアーだったんですけど、ツアーが終わって帰ってきて、ひさびさに4人でスタジオに入ったときに、のんくん(武田の愛称)が「『Phantasia』で4人でやれることは終わったような気がする」って言い始めて、「解散話を打ち明けられてるのかな?」って、すげえソワソワしながら聞いてたんですけど、でもそうじゃなくて、「新しい方向性を模索したい」って言われたのはすげえ覚えてますね。

 

「J・ロビンスが車で迎えに来てくれて、「この後誰とツアー回るんだ?」って聞かれたから、マイク・ワットだって答えたら、「NO SHIT(マジかよ)!」って(笑)」(楠本)

 

最初のターニングポイントを迎えて、新たな音楽性を試行錯誤する中、2009年からは毎年のようにUSツアーに行くようになるわけですが、これはパトリックがマイク・ワットと知り合いだったことがきっかけになっているわけですよね?

 

 

井澤 そうですね。パトリックがマイクにLITEの音源を聴かせてくれてた中で、「マイクがソロで日本に行きたがってるから、助けてやってほしい」って、連絡が来たんです。で、2週間のツアーで、「毎日ライブがしたい」っていうのと、「ホテルは嫌だから、人の家に泊まりたい」っていうのが条件で。

 

パトリックにパンクの精神性を与えた張本人ですもんね(笑)。

 

 

井澤 本物が来たんです(笑)。で、メンバー4人とも一回ずつ自分の家に泊めたりして、すごく大変だったんですけど、やってみたら結構楽しかったんですよね。それまでの人脈を最大限に活用して、友達はもちろん、その頃はまだお客さんとの距離も近かったから、「実家に8人泊まれたりしない?」みたいな、お客さんにも交渉したりしながら、全部の宿を見つけて。それをマイクもすごく楽しんでくれて、「今度は俺がアメリカツアーに連れてってやる」って言われて、それで初めてアメリカに行ったのが2009年ですね。

 

初期のUSツアーは基本的にマイク・ワットのツアーに帯同したわけですよね。

 

 

井澤 そうですね。で、せっかくならアメリカでレコーディングをしたいと思って、憧れだったJawboxのJ・ロビンズに録ってもらったり、Tortoiseのジョン・マッケンタイアがやってるSOMAスタジオに行ったりして。J・ロビンズに関しては、Adebisi Shankっていうアイルランドのバンドが先に一緒にやってて、その音を聴いて、僕らもやってみたいと思ったり、徐々にワールドワイドな関係性の中で活動するようになっていったんです。

 

楠本 2009年は先にJ・ロビンズとレコーディングをして、その後にツアーだったんですけど、すごく覚えてるのが、J・ロビンズが車で迎えに来てくれて、「この後誰とツアー回るんだ?」って聞かれたから、マイク・ワットだって答えたら、「NO SHIT(マジかよ)!」って(笑)。J・ロビンズにとってもマイクはやっぱりレジェンドで、「俺たちすげえ人とツアー回るんだな」って、改めて気づかされたというか。

 

たまたま日本で知り合ったパトリックさんをきっかけに、アメリカのパンクのレジェンドと接点ができるっていうのは、改めてすごい話ですよね。

 

 

武田 でも今振り返ると、『Phantasia』のリリースからUSツアーまでがたった一年っていうのは驚きですね。僕の中では、かなり長い期間に感じていたので。

 

楠本 J・ロビンズとやった『Turns Red EP』のレコーディングって、曲が完成してないまま行ったんですよ。日程だけ決まってたけど、まだ曲は完成してなくて、向こうでちょっと作った気がします。だから、まだ模索の途中だったっていうか。

 

山本 「Vermillion」とかドラム全然決まってなくて、向こうのノリでドラムンベースっぽいのを雰囲気でやった気がする。あと、「アメリカは広いから、2周はしないとダメだ」って、日本からアメリカに行った先輩たちが言ってて、辛抱強く回ろうと思ってました。

 

「最近のアメリカツアーだと、オープニングで出る子たちが「子供の頃からLITEを聴いてたから、一緒にやれて光栄だ」みたいに言ってくれて」(井澤)

 

 

実際に何度かアメリカに行く中で、少しずつ状況が変わっていきましたか?

 

井澤 最初はマイク・ワットと回ってたので、おじさんおばさんのお客さんが多かったんです。でも、途中で一回マスロックブームみたいなのがあって、徐々にキッズが増えてきて、ファンの世代が変わっていったというか。なので、最近のアメリカツアーだと、オープニングで出る子たちが「子供の頃からLITEを聴いてたから、一緒にやれて光栄だ」みたいに言ってくれて。逆に、そういう子たちに「マイク・ワットと一緒にツアーを回った」って話をしても、「マイク・ワットって誰?」みたいな感じなんですよ。

 

武田 何年かマイクと回った後で、マイクから卒業したんですよね。それを切り出したのはすごく覚えてます。「次のツアーどうする?」みたいなことを言われたときに、次のイメージが湧かなくて、お客さんの層が変わってきてたっていう外部要因もあったから、そろそろ自分たちでやるべきなんじゃないかと思い始めて。

 

井澤 2014年にアメリカのTopshelf Recordsと契約して、『Installation』のツアーはワンマンだった気がする。

 

楠本 2014年はUKのArcTanGent Festivalに出て、Topshelf Recordsと契約して、結構変化の年だったかもね。

 

2013年が結成10周年だったじゃないですか? そこでひとつの区切りがあって、改めて海外に力を入れ始めた、みたいなことだったりもしたのでしょうか?

 

井澤 いや、海外ツアーに関しては地続きなイメージなんですよね。毎年どこかしらには絶対行ってたから、2014年も普通に「次はどこ行こうか?」みたいな感覚だったと思います。区切りとしては、2011年に『For all the innocence』を出せたことの方が大きくて、ヨーロッパ―ツアーの後に悩みに悩んで、いろいろ模索して、そこを抜けたのが『For all the innocence』だったんです。なので、そこから先はいろんな可能性が広がった中で、もともとやりたかったソリッドな音楽性を見つめ直したりして。LITEとしてのアイデンティティを改めて考えるようになったのが、2011年から2014年の間だった気がします。

 

武田 マイク・ワットから卒業したときって、いろいろ確信があったんですよね。自分たちでコントロールしたいと思うようになったのは、APAっていう向こうのエージェントとも繋がれたのが大きくて、ちゃんと収益化できそうな形で誘ってもらえるようにもなってきたので、だったら自分たちでやろうって感じで。

 

楠本 今の若いバンドが海外に行くってなると、自分たちの2014年あたりからスタートする雰囲気なのかも。

 

山本 当時はまだ情報もなかったから、人柱になったっていうか(笑)。

 

その後にThe fin.とかが海外をベースに活動するようになるのは、直接的にも間接的にも、LITEの影響があると言っていいかもしれないですよね。

 

 

井澤 もちろん、僕らの前にはMONOやenvyがいて、話を聞くと面白いんですよ。最初の頃は海外と手紙でやりとりしてたらしいですからね(笑)。

 

2018年にはアメリカのCHONと、2019年には台湾のElephant GymとUSツアーを回っていますが、雰囲気はまた変わってきていますか?

 

武田 どちらも自分たちより一世代下で、お客さんも若くて、また違う感覚がありました。最初はマイクに近い年上のお客さんの前でやって、その後は僕らと同じかちょっと下くらいのお客さんになって、今は明らかに自分たちより下の世代になったなって。

 

井澤 CHONはすごく刺激的でしたね。僕からしたらフュージョンに近いというか、初期衝動的な感じというよりは、大人な雰囲気で、テクニックを見せてて、でもそれでキッズたちがモッシュやダイブをするっていう、僕の中では全部が新しかったです。

 

インストバンドのシーンも常に更新されていて、そこにLITEがいるのはすごく意味があるように思います。歴史の連なりを感じるというか。

 

武田 これをあと2~3回繰り返すと、僕らがマイク・ワットみたいになってるかもしれないですね(笑)。「お前らに日本見せてやるよ!」って。

 

いいじゃないですか。なりましょう、マイク・ワットに(笑)。

 

武田 そのとき俺はホテル泊まるわ(笑)。

 

「(リモートでのセッションは)3回目くらいで一応形にはなったけど、僕はプレイ的にしばらく難しいなって感じていて。でも、MacBook Proを新しくして、オーディオインターフェイスを変えて、途中から一気にやりやすくなりました」(山本)

 

2006年から毎年海外ツアーを続けてきたわけですが、今年は新型コロナウィルス感染症の影響があり、ライブをすること自体がままならなくなりました。しかし、そんな中でLITEはリモートでのセッションを配信し、ライブハウスのYouTube公式チャンネルを使うことによって、オンラインライブハウスの概念を提示しました。改めて、リモートでの同時演奏を実現させるに至った経緯を話していただけますか?

 

 

武田 コロナでライブができなくなってしまった中で、当然何か活動をしたいと思ったときに、ライブハウスという場所は使えなくなってしまったわけですけど、僕らは2019年に「The Room」というアプリをリリースして、もともとそこでファンの方との交流を始めていたんです。なので、その中で特別なライブを公開しようというのが最初でした。で、いろいろと模索して、システムができて、実際に「The Room」で公開したら結構反響があったので、ライブハウス救済のためにも、これを各ライブハウスの公式チャンネルでやろうということで、新代田FEVER、下北沢ERA、名古屋のSTIFF SLACKでやってみたり、そうやってこの半年活動してきた感じですね。

 

リモートでの同時演奏については武田さんがnoteで解説も書かれていましたが、やはり実現するまでにはかなりの苦労があったわけですよね?

 

武田 蓋を開けてみると、そんなに難しいことをやってるわけではないんですけど、とはいえ前例のないことだったので、壁にはぶち当たりましたね。

 

井澤 最初にのんくんから「同時にできたら面白くない?」って話を聞いて、自分なりにセッティングをしてみたんですけど、最初は自分の機材だと若干レーテンシー(遅延)があって、演奏がきれいにハマらなくて。そうなると、できる曲が限定されるんですよね。なので、最初は多少雑になっても聴ける選曲しかできなかったんですけど、そこから「この曲をやるにはどの機材が必要か?」って脳みそになって、試行錯誤して、どんどんやれる曲が増えていって。最初はキメの多い曲とかできなかったんですけど、最近はみんなの環境が安定して、何でもできるようになってきました。

 

山本 3回目くらいで一応形にはなったけど、僕はプレイ的にしばらく難しいなって感じていて。でも、MacBook Proを新しくして、オーディオインターフェイスを変えて、途中から一気にやりやすくなりました。最初の頃は機材を揃えるにも注文してから一か月とかかかったので、かなり待って、ようやくいい感じになりましたね。

 

「やれることを模索してやってみる感じはLITEっぽいなと思いました」(楠本)

 

 

構造さんはリモートでのトライをどう感じていますか?

 

楠本 僕ら5月くらいからやり始めたんですけど、意外と僕ら以外やってる人がいなくて……逆に、あの頃みんな何やってたんだろうなって(笑)。もちろん、制作はやってただろうし、そこからもうちょっとして、実際のライブを配信するようになっていったけど、それ以前に、やれることを模索してやってみる感じはLITEっぽいなと思いました。

 

井澤 だから、今年結構バンド活動してるんだよね。

 

武田 やっぱり、「The Room」があったからこそやったことだと思います。そこのモチベーションが起点で、それがなかったら僕らも何もやってなかったかもしれない。もともとアプリを作ったのは、フィジカルだけじゃない、デジタルで何か価値を提供できないかと考えてのことだったので、今回のライブはまさにそうなったかなって。

 

 

でも、それをやってみることによって、先ほどのオンラインライブハウスだったり、海外も含めたゲストが参加しての同時演奏だったり、いろんな可能性が膨らみましたよね。

 

 

井澤 可能性はすごく感じました。オンラインライブハウスもそうだし、あと僕ら普段のライブだとあんまり喋らなかったんですけど、お客さんがチャットに書き込みができるので、それを見ながら一曲ごとにゆるく話したりすると、テレビ番組みたいな感覚で楽しんでくれて、だったらもっと喋るのも面白いかもなって思ったり。今までやってこなかったことを、サイドエンタテイメントとして提供できる場所でもあるなと思いました。

 

そして、10月11日からは「オンラインワールドツアー」として、ライブを海外の配信サイトから、現地の時間に合わせて配信するという試みを行うそうですね。

 

井澤 今年は海外には行けないですけど、Topshelf Recordsだったり、イギリスのBlackstarっていうアンプのメーカーだったり、自分たちと繋がりのある海外のチャンネルから配信したら、海外ツアーみたいな感じになるんじゃないかと思って。Blackstarのみんなとかは、俺らがZoomで同時演奏をやってるのも見てくれてたんです。ちなみに、マイク・ワットも「俺もやりたい」って連絡をくれて、一回やってみたんですけど、どうしても物理的な距離によるレーテンシーがあるので、今後やり方を模索したいなって。

 

ツアーに合わせて、新曲もリリースされるんですよね。

 

武田 もともと『Multiple』に入れようと思って作ってたけど、予選落ちしてしまっていた曲を、The fin.のYutoをプロデューサーに迎えて改めて一緒に作って。かなりいいものができたので、それをツアーに先駆けてデジタルでリリースします。Yutoとよく話すのが、LITEは音域がかなり狭いっていう話で、今海外で流行ってる音楽と比べると、特に下が全然違うと。僕らこれまでも常に変わり続けてきましたけど、また新たに今の風を入れるという意味で、すごくいいコラボレーションになったと思います。オンラインワールドツアーでプレイすることで、実際に海外には行けなくても、僕らの最新を海外に届けられるので、それも意味のあることだと感じますね。寝袋もいらねえし(笑)。

 

楠本 もう持ってってないでしょ(笑)。

 

音楽性はもちろん、海外ツアーにしろ、リモートでの同時演奏にしろ、LITEはずっと他の誰もやっていないことを追求し続けてきたバンドですよね。だからこそ、ヨーロッパツアー時の葛藤も大きかったと思うんですけど、未曾有の事態になった2020年に、すぐ新たなことにトライできたのは、これまでの積み重ねがあったからこそなんだろうなって。

 

 

武田 そのモチベーションは、結成当初から一貫してると思いますね。

 

「コラボした帽子ができあがると嬉しいんですけど、毎回「もっとこうすればよかった」って反省もするんです(笑)。自分とは違う作り手と話をすることで、すごく刺激をもらってますね」(井澤)

 

 

最後に、帽子についての話を聞かせてください。メンバーの中で特に帽子にこだわりがあるのは、井澤さんと構造さん?

 

楠本 僕は実はCA4LAの帽子をかなり持ってて、普段からかぶってるんです。やっぱり、すごく質がいいんですよ。去年の夏にCA4LAと作った帽子をかぶってたときも、いろんな人から褒められました。

 

井澤 僕も帽子はいっぱい持っていて、もともとハットかキャップしか似合わないと思ってたんですけど、CA4LAの新作展示会に行くと、「こういうの似合わないと思ってたけど……新鮮かも」みたいに思うことが多くて、毎回今まで開けてこなかった蓋を開けてる感じっていうか。帽子によって印象が全然変わると思うので、人がかぶってるのを見て、「自分もああいう印象になってみようかな」みたいな気持ちになったりもするんですよね。

 

CA4LAとはこれまで3度コラボレーションを行っていますが、最初はどういう接点があったんですか?

 

井澤 我々の親友avengers in sci-fiが先にコラボをしていて、話を聞いたら、担当の方が同じ小学校の出身だったんです(笑)。で、「僕らも何かできませんか?」って相談をして、ディレクターさんを紹介してもらいました。最初に作ったのがニット帽で、次が撥水加工のハットだったんですけど、それは完全にただ僕がやりたかったことで(笑)。3回目が去年の『Multiple』のツアーのときで、今度はみんなで考えようと思って、デザインものんくんが提案してくれて。

 

武田 モノがいいので、いずれも僕らの普段の物販の価格帯よりちょっとお高いんです。でも、すげえ売れるんですよね。普段の僕らにはないテイストも入ってくるし、やっぱりモノとして所有欲を刺激するんだろうなって。

 

井澤 毎回最初は僕が打ち合わせをさせてもらって、生地を選ぶところからスタートするんですけど、帽子のプロの方とお話すると、いつも面白いディスカッションになるんですよね。同じコットンでもちょっと%が違うだけで見た目が全然変わったり、自分が「こうしたい」と思ってたことが、話してみると「こっちもいいな」って思ったり、すごく楽しくて。なので、コラボした帽子ができあがると嬉しいんですけど、毎回「もっとこうすればよかった」って反省もするんです(笑)。自分とは違う作り手と話をすることで、すごく刺激をもらってますね。

 

 

 


 

LITE (ライト)

2003年結成、4人組インストロックバンド。今までに6枚のフルアルバムをリリース。独自のプログレッシブで鋭角的なリフやリズムからなる、エモーショナルでスリリングな楽曲は瞬く間に話題となり、アメリカのインディレーベル”Topshelf Records”と契約し、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどでもツアーを成功させるなど国内外で注目を集めている。 国内の大型音楽フェス”FUJI ROCK FESTIVAL”や”SUMMER SONIC”をはじめ、海外音楽フェスのSXSWへの出演や、UKのArcTanGent Festival、スペインのAM Fest、メキシコのForever Alone Festではヘッドライナーでの出演を果たすなど、近年盛り上がりを見せているインストロック・シーンの中でも、最も注目すべき存在のひとつとなっている。2019年6月5日には6thアルバム「Multiple」をリリースする。

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RELEASE

2020年10月9日(金) RELEASE

Digital Single「S」

Smart Link: https://LITE.lnk.to/S_LITE

 


 

LIVE SCHEDULE

 

 

"LITE Online World Tour 2020 at FS.”

2020年10月11日(日) JAPAN / ASIA

START 20:00 (JST)

Streaming platform : LITE YouTube Channel 

( https://www.youtube.com/channel/UCjXWPjURiPsPdeJ7u_PBJIw/ )

 

2020年10月18日(日) CHINA

START 19:00 (CST) *日本時間 20:00

Streaming platforms : Billibilli / Zhengzai / Showstart / Netease

 

2020年10月25日(日) UK / EUROPE

GUEST: Tim Collis (TTNG) / Vinny McCreith (Adebisi Shank)

START 12:00 (GMT) *日本時間 21:00

Streaming platform : Blackstar YouTube Channel (https://www.youtube.com/user/Blackstaramps)

 

2020年10月31日(土) US

GUEST: Nick Reinhart (Tera Melos)

START 21:00 (PST) *日本時間 11月1日(日) 14:00

Streaming platform : Topshelf Records YouTube Channel (https://www.youtube.com/user/topshelfrecords)

 

Total Info: FS. http://fs.friendship.mu/