CA4LA MUSIC CONNECTION vol.6
a flood of circle
度重なるメンバーチェンジを経て、現在の4人が固まるまでの転機
アーティストたちにとって、作品を生み出す過程やその時々の活動の源泉には、必ず何かの転機が存在している。
「CA4LA MUSIC CONNECTION」は、アーティストのみなさまに、ご自身の活動のターニングポイントになったことを取材させていただく連載企画。
第6回目にご登場いただくアーティストは、a flood of circleのみなさん。
2006年に結成され、今年15周年を迎えるa flood of circleは、学生時代から期待のロックバンドとして話題となり、卒業後すぐの2009年にメジャーデビュー。しかし、立て続けにメンバーの脱退を経験し、2010年にはベースのHISAYOが加入するも、なかなかギタリストが定まらず、「メンバーチェンジの多いバンド」として語られる時期もありました。しかし、2018年のアオキテツの加入によって、遂に最後のピースが埋まり、昨年発表した『2020』はバンドの王道をさらに更新するかのような、素晴らしいロックアルバムとなりました。そんな充実期を迎えたいまだからこそ、メンバーチェンジの裏側にあった想いを改めて聞くとともに、5月1日から開催される「a flood of circle FIFTHTEEN EXHIBITION」で展示・試着会が行われるCA4LAとのコラボベレー帽についてもお伺いしました。
Text by Atsutake Kaneko
Photo by Kana Tarumi
Interview:a flood of circle
「みんなで助け合いながら、許し合いながら、どうにかこうにかやってるバンドを見るのって、やっぱり嬉しいですよね」(佐々木)
渡邊一丘(以下、渡邊) 俺がかっこいいと思うロックバンドは条件とかを考えてなくて、天然というか、自然体なんじゃないかと思って。あとは、あんまり悲惨な感じは好きじゃないので、条件を挙げるとすれば、天然で生きてるってことですかね。それがロックスター然とした立ち振る舞いじゃなくても全然いいと思うんですよ。俺は別に不良でもないし、釣りとかサウナが好きなんですけど、そういうロックもあるというか(笑)、そうやって自分らしく生きることがロックバンドらしいのかなって。
HISAYO 「こういうバンド像に憧れる」みたいなことって、昔から変わらず「こうなりたい」というよりは、そのときそのときで変わっていくと思うんですけど、今の自分が思うのは、自分たちが面白いと思うことをやり続けられているかどうか。自分たちが飽きちゃうと、外にも伝わっちゃう気がするんですけど、そうじゃなくて、周りから見ても「面白いことやってるな」って見えるし、自分たちもそう思い続けられたら理想的だなって。
佐々木亮介(以下、佐々木) 俺も昔は「こんなバンドだったらいいな」っていうのがあったと思うんです。でも、いざ自分でバンドを始めて、転がしていくと、理想とかは持たない方がいいと思ったっていうか(笑)、ただその瞬間瞬間で、昨日よりマシなことを探していくしかないなって。理想にハメようとすると、どんどんハマらない場所が増えて行って、いずれ壊れちゃうから、そこは「ま、いっか」で行くっていう。
アオキテツ(以下、テツ) 俺が思うのは単純に、全員見た目がかっこいいってことですね。あとは、俺の好きなロックバンドの人は、SNSに飯の写真を上げてなさそうな感じの人。完全に個人的な条件ですけど。
HISAYO 私が大学生でtokyo pinsalocksを組んだときは、最初女子4人だったんですけど、「誰がいつ結婚して、子供を産んでも、この4人でずっとやるぞ」っていう、バンドの物語と人生を重ねるみたいなことを漠然と思ってました。でも、フラッドに入る頃にはそれどころじゃなくなっていたというか、もっと考えに幅ができてましたね。
佐々木 「誰かが抜けたらこのバンドは解散」っていうバンドもいるし、オリジナルメンバーが一人もいないのにずっとTHE BEACH BOYSとしてやってるバンドもいるし、そこはどっちもでもいいのかなって。もちろん、最初はあったと思います。姐さんの話と同じように、同い年で組んで、ドリームがあったから、「このメンバーでいくぞ」っていう。でも、実際はもっとフワッとしてて、肩を組んで、「やるぞ!」って言ったわけでもないので。
佐々木 バンドで飯を食う難しさっていうのは20歳くらいのときには全然わかってなかったけど、今は壊れちゃうバンドの気持ちも超わかる。でも「そういうこともあるよ」って、みんなで助け合いながら、許し合いながら、どうにかこうにかやってるバンドを見るのって、やっぱり嬉しいですよね。
「新しいバンドをやるつもりはなかったけど、偶然近所で佐々木に出会ったりして、「やってみるか」って、背中を押された感じがして」(HISAYO)
佐々木 最初のギターが失踪した時点から、かなりギリギリの状態でやってたんです。当時所属してたビクターの人たちが応援してくれて、急いでセカンドアルバムを作ることはできたけど、でもレコーディングもライブもずっと揉めながら、バトりながら進んでるような感じだったので……嫌になっちゃったんでしょうね。なので、最初は俺とナベちゃんで「THE WHITE STRIPESになってもやろう」って話してて(笑)。ただ、「ここまでやってきたんだから」って、次のベースを探そうってなったときに、当時のマネージャーが「HISAYOさんがフラッドにいたらかっこいいんじゃないか」って提案してくれて。
渡邊 そこまで大人じゃなかったので、お恥ずかしながら、あんまり何も考えてなかったですね。当時はチームも全員ピリピリしていて、外から俯瞰で見れる人もいなかったから、どんどんふるいにかけられていく状態というか、「誰が一番ギリギリまでアクセルを踏み続けられるか」みたいな価値観の中で生きてた気がします(笑)。
HISAYO 当時tokyo pinsalocksとGHEEEをやっていて、どちらもツアーをやったり、がっつり動いてたから、サポートをすることはあっても、これ以上バンドを増やすことはないと思ってたんです。なので、フラッドの話も最初はサポートだと思ったから、「いいですよ」って言ったんですけど、「メンバーで」という話だったので、一旦断っていて。でも、そこからいろんな縁があって……家の近所で偶然出会ったり(笑)。
HISAYO 当時私とナベちゃんがたまたま近所に住んでたんですよ。
渡邊 全然知らなかったんですけど、実は徒歩7分くらいのところに住んでて。
HISAYO で、家の近所を歩いてたら、ナベちゃんの家に行く佐々木に会ったんです。「前からフラッドっぽい人歩いてくるな」と思ったら、「HISAYOさん!」って言われて、そのときひとまずスタジオでセッションをすることは決まってたから、「今度セッションお願いします」って、丁寧に挨拶されて……好青年だなと思って(笑)。
渡邊 亮介が俺の家に来たことなんて、この15年で4回くらいしかないんですよ。
HISAYO そこで「これはやれってことなのかな?」と思って。tokyo pinsalocksはガールズバンドで、当時それぞれの将来を話すことも多くなってて、結婚や子供のことを考えると、いつか止まることはわかっていて。でも、自分は音楽でやっていきたくて、みんなのお尻を叩いてやり続けるのもどうなのかなって、ちょっとモヤモヤしてた時期だったんですよね。そんなときにフラッドの話があって、偶然近所で出会ったりして、新しいバンドはやるつもりなかったけど、「やってみるか」って、背中を押された感じがしました。
HISAYO めちゃめちゃターニングポイントです。あの日偶然会ってなかったら、フラッドに入ってなかったかもしれない。
佐々木 あともうひとつ大きいのが、姐さんが加入してすぐに震災があって、バンドとしてどんな曲を出すべきかすごく悩んだときに、姐さんは神戸の出身だから95年の経験もあったりして、そこですごく濃い話をしたんですよ。その時期を一緒に乗り越えた経験はデカくて、姉さんが入って一緒に作った最初のアルバムの『LOVE IS LIKE A ROCK’N’ROLL』には、今でもライブでやる曲が多く入ってるんです。震災が起きたことは何にもポジティブな話じゃないし、タイミングはホントたまたまなんですけど、ネガティブなシチュエーションを一緒に越えることで、「タフにやっていく」っていうフラッドの基礎を一緒に作れたのはとても大きかったですね。
「ギタリストに対するハードルがかなり上がってたんですけど、それを超えてくる熱量を持ったテツと出会うことができて、奇跡的なことがそこで起きたんじゃないかって」(渡邊)
佐々木 そこまでにサポート入れて10人くらいギターが変わってるんだけど(笑)。
佐々木 その直前まで爆弾ジョニーのキョウスケがサポートをしてくれてて、爆弾ジョニーもボーカルが失踪した後だったんですよ。で、当時は爆弾ジョニーが復活するかどうかも見えてなくて、周りも「キョウスケいいじゃん」って言ってくれてたんですけど、でもキョウスケはフラッドをやっていくうちに、「やっぱり自分のバンドをやらないとダメだと思った」って、それで抜けることになったんです。なので、次は他のバンドをやってるやつに手伝ってもらうんじゃなくて、「フラッドになりたい」ってやつとやりたいと思って。
佐々木 最初は「一般公募」って単語があんまりかっこよくないなと思ってたんですけど(笑)、そのときは「やったことがないことをやろう」みたいな気持ちになってて、公募をしてみたら100通以上応募があって、その中にテツがいたっていう。
渡邊 キョウスケのときバンドがすごくいい状態になったので、かなりハードルが上がってたんですけど、でもそれを超えてくる熱量を持ったテツと出会うことができて。街中で姐さんと亮介がばったり会ったのと同じくらい、奇跡的なことがそこで起きたんじゃないかって……なんか、言っててすげえ恥ずかしくなってきた(笑)。
テツ 俺今年でバンドに入って5年なんですけど、上京してから5年でもあって。上京して2~3か月くらいは、バンドをやりたいと思いつつ、特に何もしてなくて、そんなときに公募してるのを見つけて……ラッキーだなって(笑)。
佐々木 ボーリングのピンを並べてたんだよね。
テツ レーンの後ろで整備するバイトをしてて。そのとき学校の後輩のリツイートを見て公募してるのを知ったんで、一番感謝してるのはそいつですね(笑)。
佐々木 そこは「結婚を前提にお付き合い」みたいな状態で(笑)。俺らとしては入ってほしいと思ったけど、テツにとっても俺らは初めて会う人間なわけだから、お互い試し合う感じで、アルバム作って、ツアーして、一年くらいして、「いいじゃん」って。Duranのときは急にメンバーにして失敗したから(笑)、いろいろ反省した上で、ちゃんと確かめ合う期間を作ったんですけど、でも「メンバーになるよね?」っていうのは前提でした。
テツ 俺からすると「メンバー募集」って書いてあって、受かったわけだから、最初「サポートから」って言われて、「話が違うじゃん!」と思って。まあ、そりゃそうやって話ではあるんですけど、メンバーになる話をもらったときも「遅いよ!」って感じで(笑)。
HISAYO 言ってた、言ってた。そのとき違う名目で呼び出したんだよね。
テツ レコーディングお疲れ様会だって聞いてたんですけど……。
HISAYO サプライズで「入って」って。びっくりしてたよね(笑)。
「5年やってきて、フラッドの芯みたいなものはさすがにわかってきたので、その芯をもっとぶっとくしたいとは思ってます」(テツ)
佐々木 15年でどこかに辿り着いて、何かが完成したから今インタビューを受けてるって感じはなくて、自分の気分としては、まだ全然焦ってるし、もがいてる感じなんです。でもそれを一緒にやれてる感じがするんですよね。テツも完成した状態で入ってきてるわけじゃないから、メンバーという距離感でそれを一緒にやれてるのはすごくいいなって。
佐々木 トラップがどうこうっていうのは、自分がやりたくてみんなに押し付けた部分もあったんですけど(笑)、テツが入って、ライブがすごくよくなって、バンドが自然に出してる音をよりかっこよくするのがフラッドとして一番強い気がしていて。なので、今は持ってる武器を研ぎ澄ます方向です。あとは、周りにロックバンドが減ってるから、美味しいかなっていうのもあって(笑)。先輩にはいるけど、近い世代で似たようなことをやってるバンドが少ないから、今は自分たちのスタイルを大事にしたらいいんじゃないかなって。
渡邊 それぞれ向いてること向いてないこと、できることできないこと、好きなこと嫌いなことがあるんだけど、その中には4人の共通してる部分もあって、それが最近のアルバムの音になってると思っていて。なので、その共通の「1」をもっと突き詰めて、もっと大きくしたいと思ってますね。
HISAYO 今はもうマイナスなところを何とかしなきゃっていう時期ではないと思っていて。やっとみんなでクリエイティブな部分でもめられるというか、それはすごくよかったなって。もちろん、佐々木も言ってたように、私もまだ完成したわけじゃなくて、途中にいると思うので、それが逆に楽しみですね。
テツ 対バンとかのときも、俺と同じ後入りのメンバーと深くしゃべることが多いんですけど、後入りのやつって、負けん気が強いんですよ。なので、この熱意をどうバンドにぶつけてやろうかって感じですね(笑)。5年やってきて、フラッドの芯みたいなものはさすがにわかってきたので、その芯をもっとぶっとくしたいとは思ってます。
佐々木 ちょっと前まではアルバムごとに誰かメンバーが変わってましたからね(笑)。
佐々木 2021年の話で言うと、これまではツアーの経験を経て、「もっとこういう曲があったらいいな」って感じで曲を作ってたんですけど、今お客さんはマスクをして、枠が決められた状態で見なくちゃいけないわけで、それを前提に曲を作るのはつまらないですよね。なので、次はお客さんが動こうが動くまいが最高のライブができるような音源を作れたらと思っていて、それって逆に言うと、音源をライブ基準で考えなくてもいいから、広がりも出る気がして。今15周年でいろんな人に曲を書いてもらう企画(8月リリース予定の『GIFT ROCKS』)をやってるんですけど、トリビュートに参加したり、対バンしたバンドのカバーをやったり、フラッドの芯を作る一方、ここ数年はそうやって近いバンドから刺激を受けてきた期間でもあるから、そこも音源で表現できたらなって思いますね。
「いろんな形の帽子が被れるようになるのって、ロープレで使える魔法が増えるみたいで、好きなんですよね」(テツ)
HISAYO 私は人生で買った帽子のほぼすべてがCA4LAさんのもので、同じ形のやつを4つくらい持ってます。前は全然被ってなかったんですけど、フラッドに入ってから、「自分はこれが似合う」っていうのを見つけることができて。ベレー帽は初挑戦で、展示会のときにみなさんから「似合う、似合う」っておだてられて(笑)、かぶるようになりました。
秋元 本当にすごくお似合いですよね。
テツ 俺は帽子って、被り続けないと似合わんなって思う節があって。っていうのも、小学生のときにすげえキャップが似合うしょうごくんってやつがいて、俺も真似して帽子被ってみたんですけど、最初は自分でも「似合わんなあ」と思ったし、「似合わんね」って周りからも言われてて。でもずっと被ってたら、何にも言われなくなって。
秋元 すごくいいことを言いますね。被り続けるのって重要で、最初はみんなからかったりするんですよ。
HISAYO 試着のときってそうなりますよね。サングラスとかもそうですけど。
秋元 それで恥ずかしくてやめちゃったりするけど、テツさんは被り続けたんですね。
テツ ロープレのレベルアップみたいな感じっていうか。ベレー帽も最初は「漫画家やん」みたいに言われたけど、ずっと被ってたらだんだんしっくりきて。そうやっていろんな形の帽子が被れるようになるのって、使える魔法が増えるみたいで、好きなんですよね。
渡邊 俺も前はあんまり被ってなかったんですけど、真冬のフィンランドにオーロラを見に行ったときに、めちゃめちゃ寒くて、ボンバーをCA4LAさんで購入して、それがかっこいいなと思って。そうやって一回かぶるようになると、自分の中にスイッチができた気がして、結構かぶるようになりました。
佐々木 一昨年くらいから毎月のように買ってますね(笑)。
佐々木 今フラッドのジャケットとかをデザインしてくれているナカシマさんって人がいて、もともとミッシェルのジャケとかもやってる人なんですけど、その人と仲良くなって、あるとき『アンカット・ダイヤモンド』っていう映画の話になったんです。A24っていう配給会社がやってる映画なんですけど、「A24の映画いいよね」って話をしてたら、ある日A24のキャップをプレゼントしてくれて。それまで全然被ってなかったんですけど、ソロでメンフィスに行ったときに、アメリカのレジェンドのミュージシャンたちも帽子を被ってて、その感じにも近かったら、すごくいいなと思って。そこから一気に好きになって……一回欲しくなると我慢できないんで(笑)。
佐々木 テツと出会う前に、一回「フラッドはこうじゃなきゃ」と思い過ぎて、全然曲が書けなくなった時期があるんです。でももっと自由にやらなきゃダメだと思って、その頃から曲の作り方もファッションも自由になって、気持ちも自由になっていったんですよね。
「「こうなりたい」みたいな憧れもあるけど、「これはまだない」ってものを作りたいんですよね。この世にまだないものを作って、誰かがそれを「いい!」って言ってくれたら、それは最高ですから」(佐々木)
テツ 自分がベレー帽かキャスケットが欲しくて、どうしようかなと思ってたんですけど、打ち合わせに行ったときに、そのときの気分で「ベレー帽っすかね」って決めました。外したときに中に色がついてたらかっこええなと思って、内張りをテカテカしたやつにして。
秋元 中折れのハットとかには裏地が入ってるけど、ベレー帽で入れる人はあんまりいないから、かっこいいですよね。ロゴもすごくこだわってて、このデザインもかっこいい。
テツ 光が当たったら目立つかなって。
秋元 あえて黒でプリントしてるので、パッと見はわからなくても、光沢で見えるっていう。ベレー帽を被ったことない人でも被りやすいと思います。で、作った本人がめちゃ似合ってる。これも重要ですね(笑)。
HISAYO 私はフラッドに入ってなかったら一生着なかっただろう服をここで着てるなって。「この音楽をやるにはこの服」みたいに、気分を引っ張ってもらってると思ってて、フラッドとは違う音楽をやるときは、あえて全然違うメイクや服に変えることで、出す音を後押ししてもらってますね。
渡邊 音楽とファッションに共通してるのって、なくても死なないってことだと思うんです。衣食住を超越してるって意味で似てると思ってて、でも音楽は自分の生業にしちゃってるから、純粋な目では見れない部分がある。それに対して、ファッションは「これかっこいい!」って、素直になれる数少ないもので、すごく貴重ですね。
秋元 逆にファッションの人からすると、音楽がそうなんですよ。だから、いい意味で補完し合えるのかなって。
佐々木 さっきお話を聞いたら、四半世紀これをやられてるって聞いて、とんでもないなって(笑)。
秋元 CA4LAは来年が25周年なんです。「Rollers Anthem」がめっちゃいい曲で、あの歌詞を聴いて、これからもやり続けようと思いました。また第二弾、第三弾とコラボができたら嬉しいですね。
渡邊 また自分が欲しいものを言い出しそう(笑)。
秋元 自分が欲しいものを作るってやっぱり基本なんですよ。デザイナーもそうだし、ミュージシャンもそうなんじゃないかなって。
佐々木 確かに、「こうなりたい」みたいな憧れもあるけど、「これはまだない」ってものを作りたいんですよね。この世にまだないものを作って、誰かがそれを「いい!」って言ってくれたら、それは最高ですから。
a flood of circle
2006年結成。 佐々木亮介(Vo, Gt)、渡邊一丘(Dr), HISAYO(Ba)、アオキテツ(Gt)の4人組。 常にコンテンポラリーな音楽要素を吸収し進化し続け、最新のロックンロールを更新し続けているバンド。
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「a flood of circle FIFTHTEEN EXHIBITION」
会場:The 6193 ※RUDE GALLERY TOKYOの1階
住所:東京都渋谷区神宮前6-19-3 東邦ビル1階
開催期間:2021年5月1日(土)~5月16日(日)
営業時間:12:00~19:00