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CA4LA MUSIC CONNECTION vol.10
Ryohu

「Ryohuというジャンル」を見出すまでの転機
 

 

アーティストたちにとって、作品を生み出す過程やその時々の活動の源泉には、必ず何かの転機が存在している。 「CA4LA MUSIC CONNECTION」は、アーティストのみなさまに、ご自身の活動のターニングポイントになったことを取材させていただき、お答えいただくという連載企画。 第10回目にご登場いただくアーティストは、Ryohuさん。 ヒップホップグクルーKANDYTOWNに所属するラッパーでありながら、ズットズレテルズやAun Beatzといったバンドにも所属し、Base Ball BearやSuchmosの楽曲にフィーチャリングで参加するなど、ボーダーレスな活動で唯一無二のキャリアを築いてきたRyohuさん。2020年に発表した初のフルアルバム『DEBUT』は、これまでの人生を見つめた作品となり、収録曲“The Moment”はAppleのCMに起用され、大きな話題を呼びました。今回のインタビューではそのボーダーレスな活動のルーツとなっているライブハウス・下北沢GARAGEとの出会いを起点に、アーティストとしてのアイデンティティに迫るとともに、ニューシングル『One Way feat. YONCE』について、さらにはCA4LAとのコラボレーションアイテムについてもお伺いしました。

Text by Atsutake Kaneko
Photo by Kana Tarumi

 
 

Interview:Ryohu

 

「いろんなアーティストと出会い、音楽を聴いたり、セッションをしたり、普通に遊んだりしたので、下北沢GARAGEの存在は今の自分のスタンスにすごく影響を与えてると思います」  
Ryohuさんが音楽に興味を持ったきっかけは、やはりヒップホップですよね?
 
Ryohu 音楽自体によく触れるようになったのは小学生の頃で、TSUTAYAのレンタルでJ-POPのチャートから何となく聴いていて。そのなかにケツメイシやKICK THE CAN CREWもあったんですけど、当時はまだヒップホップとしては聴いていなくて。でも、小学校6年生のときに、お兄ちゃんがちょっとやんちゃな同級生がいて、「お兄ちゃんに聴かせてもらってこれヤバかった」って、キングギドラの『最終兵器』を聴かせてくれて、「なんだ?」ってなったんです。僕自身子供ながらに不良に憧れていたというか、悪ぶりたい時期だったので、そのタイミングにばっちり合って、そこが最初のヒップホップの入口でした。  

 

そこから徐々にカルチャーとしてのヒップホップにのめり込んでいったと。

 

Ryohu そうですね。入りはキングギドラでしたけど、その頃の現行のヒップホップ、当時だと雷家族とか妄想族のライブを観に行ったり、海外だとファボラスとか、R&Bシンガーと一緒にやったりする時代の曲もすごく聴いてて。それと同時に「90年代は間違いない」っていうのがあったので、日本だとRHYMESTERとか、海外だとNASとかを聴いて、サンプリングという概念をそこで知って、ネタ元になってた70年代のソウルミュージックが好きになったり、そうやって文化や歴史も含めてヒップホップが好きになっていったんです。  

 

ファッションの部分でもヒップホップに惹かれるものがありましたか?

 

Ryohu B-BOYの文化がありましたからね。街を歩けば誰がヒップホップ好きか一目でわかったんですよ。みんなダボダボの服を着ていて、自ずとそれがかっこいいと思って。僕もXXLのTシャツを買ったり、そういうファッションをしてました。  

 

ただ、現在のRyohuさんはヒップホップだけでなく、多ジャンルに渡った活動をしていますよね。BankRollというKANDYTOWNの前身となったヒップホップクルーに所属しつつ、その一方ではOKAMOTO’Sのメンバーらとズットズレテルズというバンドを組んでいた時期があって、下北沢のライブハウス・GARAGEによく出ていたそうで、そのころが現在に至るルーツになっているのかと思いますが。

 

Ryohu もともとIOやYUSHI(ともにBankRoll~KANDYTOWNのメンバー)とOKAMOTO’Sのメンバーが同じ高校で、文化祭の延長みたいな感じでライブハウスやクラブを借りて、学校の友達を呼んでイベントをしていて、そこにBankRollもOKAMOTO’Sも出てセッションみたいなことをしてたんです。だから、当時はまだロックはちゃんと聴いてなかったけど、生楽器を味わってはいたんですよね。で、そのセッションの流れから高校卒業くらいでズットズレテルズを結成して、それぞれの好きな音楽を共有して、僕も少しずつヒップホップ以外の音楽にも触れるようになっていって。その流れでGARAGEにも連れて行ってもらって、いろんなアーティストと出会い、音楽を聴いたり、セッションをしたり、普通に遊んだりしたので、あの場所の存在は今の自分のスタンスにすごく影響を与えてると思いますね。  

 


 

「“GIRL”はもともとSuchmosがライブでやってるのを聴いて、すごくいいなと思ってて、『俺、間奏にラップ乗っけるから、ギャラいらないんで特典とかに使ってよ』って言ったら、リアルなオファーが来たんです」  

 

 

下北沢GARAGEは昨年末に残念ながらクローズしてしまいましたが、特に記憶に残っていることを話していただけますか?

 

Ryohu GARAGEには地下格闘技イベントみたいなのがあるんですよ。普通のイベントとは違う、何をするのかわからない謎のイベントがあるんです(笑い。僕が初めてGARAGEに行ったのがそのイベントの日で、当時の店長だった出口さんに「ラップやってます」って言ったら、いきなり「やってよ」って言われて。でも全然嫌じゃなくて、「かますっしょ」みたいな感じでやって、そこから出口さんと仲良くなったんですよね。出口さんはいつも楽しいことを探している人で、世代的にもラップがもともと好きで、当時はラッパーがライブハウスにいること自体珍しかったからすぐに連絡先を交換して。それからはズットズレテルズとも関係なく、「何かやろうよ」「遊ぼうよ」みたいに連絡が来るようになって、もうずっとお世話になってるので、その出来事自体がすごくGARAGEっぽいというか。  

 

そこにいる人であり、ハコ自体がオープンマインドで、いろんなものが混ざり合う下地があったんでしょうね。2010年にリリースされた“クチビル・ディテクティヴ”にフィーチャリングで参加しているBase Ball Bearと知り合ったのもGARAGEですよね?

 

Ryohu そうですね。もともとバンドのことは本当に何も知らなくて、誰が有名かとかも全然知らなかったんですけど、こいちゃん(小出祐介)とはGARAGEに何となく遊びに行ったときにたまたま話をする機会があって、当時は敬語もろくに使えないクソガキだったけどかわいがってもらってて。で、そのまま飯行くことになって、当時下北沢の線路沿いにでかでかと看板があったんですけど、そこを通るときに「これ、こいちゃんだよ」って言われて、それを見たら「~月~日、日本武道館」って書いてあって。当時の僕でも武道館がすごいってことくらいはわかってたから、「武道館でやる人なんですか? ちょっとラップが上手いお兄ちゃんじゃないんだ」って、驚いた記憶があります。  

 

あはは。Base Ball Bearは当時としては珍しくヒップホップに興味や理解のあるバンドでしたよね。

 

Ryohu オフィシャルで「一緒にやろう」って言ってくれたのは、こいちゃんが一番早かったんじゃないかな?  

 

新曲にはSuchmosのYONCEさんが参加していて、過去にRyohuさんはSuchmosの“GIRL”に参加しているわけですが、YONCEさんと知り合ったのもこの頃ですか?

 

Ryohu Suchmosで最初にちゃんと繋がったのは隼太(HSU)なんですよ。当時僕はAun Beatzというバンドをやっていて、Suchmosと対バンすることが多くて、まず隼太と仲良くなって。“GIRL”に関しては、もともとSuchmosがライブでやってるのを聴いてすごくいいなと思って。「“GIRL”が入ってるCDないの?」って聞いたら、「実は今アルバムを作ってて、そこに入れるつもり」と言われて。それで「じゃあ、俺間奏にラップ乗っけるから、ギャラいらないんで特典とかに使ってよ」って……すげえ上目線ですけど。それを言ったら、少ししてリアルなオファーが来て、そのタイミングでYONCEも含めてみんなと仲良くなった感じでしたね。  

 


 

「最初にメジャーから話がきたときは、アルバムを作るイメージが全然湧かなくて。毎晩楽しく音楽をして、ただそれだけで良かったんです。」  

 

 

 

Ryohuさんは今でこそジャンル横断的な立ち位置を確立しているように思うのですが、当時は自分のアイデンティティについてどのように感じていたのでしょうか?

 

Ryohu Base Ball Bearのフィーチャリングがあって、大きいライブハウスに出たりとか、いろいろ経験させてもらったタイミングで、メジャーレーベルから「ソロでアルバムを作りませんか?」っていう話があったんですけど、そのときは結局やらなかったんです。ここまで話した一連の流れって、ただ楽しいからやってただけなんですよ。「自分は何者なのか?」みたいな思考自体なくて、「面白いからやる」っていう、ただそれだけ。もちろん、仕事としてお金をもらってはいたけど、そのためにやってたわけじゃなくて、普通にライブハウスに遊びに行って、全然知らないバンドのセッションに参加して、「さっきはすいません」みたいな。でもそこから仲良くなったり、そういうのが楽しかったんですよね。だから、メジャーから話がきたときも、アルバムを作るイメージが全然湧かなくて。毎晩楽しく音楽をして、ただそれだけで良かったんです。  

 

あははははは。

 

Ryohu 頑張れば何か作ることはできたかもしれないけど、当時20歳くらいだったから、アルバムを作ることよりも、その瞬間瞬間で音楽をやる方が楽しくて。それで断っちゃったんですよね。  

 

では、そこから意識が変化していったのは、いつ頃のどういうタイミングだったのでしょうか?

 

Ryohu ひとつあるとしたら、KANDYTOWNのメンバーがそれぞれ世に出ていこうってマインドになったのが大きいかも知れない。それまでは遊びの延長で楽しく曲を作って、でもそれをリリースはしてないっていう状態で、でもあるとき……それはまだKANDYTOWNができる前ですけど、僕とIOで「そろそろ何か出さない?」ってなって、フリーダウンロードのミックステープを作ったんです。その反応が予想以上にあって、「出したら反応があるんだ」というのがわかって。そこでやっと「音楽を作って外に出す」という普通のことに対して、「今やらないでいつやるんだ」みたいな感じになりました。今振り返るとそこは結構大きかったなって。「立ち返る」ってほどじゃないけど、ラップを始めた仲間とみんなで前に出ていくっていう流れのなかで「自分も何かやらなきゃ」って。誰よりも先にいろいろやってはいたんだけど、少し視点が変わって、みんなで世に出ていくことが重要というか、それを楽しいことだと思えるようになった。そこが大きかったかも知れないですね。

 


 

「(ソロ活動は)『Ryohuっていうジャンルをやる』みたいな感じですね。ロールモデルがいない分、自分で開拓していかないといけなかったけど、自分のやりたい音楽が最近やっと見えてきたような気がします」  

 

活動に対する意識が外向きになる中で、あらためて自分のアイデンティティについて考えたりはしましたか?

 

Ryohu そんなに深くは考えてないですけど……しいて言うなら、バンドの側に長くいたことで、ずっとラッパーをやっている人がかっこいいなと思ってた時期はありました。もともと僕が好きなのはラッパーで、そこはずっと変わらないんですけど、気付いたら自分のやってることと自分が憧れるラッパー像に差が出ていて。それはいいことでもあるんだけど、もっと自分をヒップホップ寄りにしようと思ったりはしましたね。ただ、それに対する解決は早かったんです。KANDYTOWNがあるから、僕はここでヒップホップをやればいいんだと思った。やっぱりKANDYTOWNが始まりで、そこには自分の思うラッパー像がちゃんとあるから、そこで消化できたというか。なので、Ryohuとして活動することに対して雲が晴れるのは早かったですね。  

 

ラッパーとしていられるKANDYTOWNがあるからこそ、ソロでのRyohuはジャンル横断的な活動ができると。

 

Ryohu 「Ryohuっていうジャンルをやる」みたいな感じですね。ただロールモデルがいない分、自分で開拓していかないといけなくて、そこは今でも模索中といえば模索中なんですけど、これまでの経験を踏まえて音楽的な知識も少しずつ増えてきて、自分のやりたい音楽が最近やっと見えてきたような気がします。  

 

これまでのソロ作にプロデューサーとして参加しているTENDREや冨田ラボさんたちとの共同作業を経ることで、自分が本当にやりたいことが見えてきたと。

 

Ryohu 性格的に、最終的には自分でやらないと嫌なんですよね。ちゃんと自分が理解できてないと嫌なんです。人に言われたことをやって、それが違ったときの苛立ちって半端なくて、だったら自分でやって失敗した方がいい。もちろん、いくつかある選択肢のなかで人に頼ることもあるけど、それは結果が良くても悪くても経験として捉えて、あとでちゃんと自分のものにしていく。そういうちょっと頑固なところがあるんですよね。    

 

そこがきっとすごく重要で、それがないとただいろんな人とコラボレーションするだけの、八方美人タイプに見られる危険性もあったかも知れない。でも、どんな人とコラボしたとしても、あくまでRyohuという軸があって、だからこそどんな場所にも飛び込んでいけた。当たり前のことかもしれないけど、すごく大事な部分だと思います。  

 

Ryohu そうだったら嬉しいですね。

 


 

「いいことも悪いこともあったけど、それでもお互い進んできたから今また道が交わって、この先はまたそれぞれの道を進んでいく。こういうことは僕とYONCEだけじゃなくて、誰の人生にでもあてはまること」

 

では、新曲の“ONE WAY”について聞かせてください。途中で話にも出たSuchmosのYONCEさんが参加していて、ここから5か月連続でシングルをリリースするそうですね。

 

Ryohu 前回のアルバムは「どんな音楽を作るか」という以上の意味を持っていたというか、誰もフィーチャリングを入れないで、自分のことを歴史も含めて自分の言葉で語るっていうことをやっていて。あんなに自分自身と向き合ったことはこれまでの人生のなかでなかったから、あれを作り終わった瞬間に「次はフィーチャリングを入れよう」と思ったんです。実は当初“The Moment”のフックを誰かに歌ってもらおうかっていうアイデアもあって、その候補の一人としてYONCEの名前も挙げてたんですけど、結局“The Moment”は自分で歌うことにして。でも今回の曲のデモができたときは「YONCEの声が聴こえる」みたいな感じになったので、お願いしたら快く引き受けてくれました。

 

 

リリックのテーマに関しては、どのように決まっていったのでしょうか?

 

Ryohu “GIRL”で一緒にやってからはお互いそれぞれの道を進んできて、彼は彼で、僕は僕で、これまでいろんなことがあって、でもこの曲でまたその道が交わったんですよね。何でこういう出来事が起こったかって、進んでるからなんですよ。止まらなければ、こういうことが起きる可能性がある。いいことも悪いこともあったけど、それでもお互い進んできたから今また道が交わって、この先はまたそれぞれの道を進んでいく。こういうことは僕とYONCEだけじゃなくて、誰の人生にでもあてはまることだし、そういうテーマがいいなと思ったんですよね。あと、前のアルバムには暗い部分も入れてたんですけど、今僕には家族がいて、あんまり余計なことは考えなくなったんです。ネガティブシンキングをしないっていうか、弱音なんか吐いていられないし、「やるしかねえ」みたいな感覚でポジティブというか、その感じを出したいっていうのもありました。

 


 

「『普通だったらこうだけど』みたいなところから、何か一個ずらしたくなっちゃう。即興性を入れたくなるっていうか、そこはずっと変わらないですね」

 

最後にCA4LAとのコラボアイテムについて聞かせてください。もともと帽子に対してはどんなこだわりがありましたか?

 

Ryohu 当たり前にニューエラはよくかぶってましたね。もう少し大人になってからは、シックスパネルのダッドハットみたいなのとか、いろいろかぶりました。ずっと坊主だったのもあって、朝起きて寝癖を気にするみたいな感覚が今もなくて、とにかくバッと帽子をかぶって外に出るっていう。それが自然なんですよね。  

 

コラボアイテムのデザインについては、CA4LAさんと一緒に話を聞かせてください。

 

Ryohu 形はいくつかサンプルを見せていただきながら決めていったんですけど、フロントの部分を別素材にしたかったんですよ。こういうラバー素材にしたいっていうのはリクエストさせてもらって。

 

CA4LA M型と呼ばれるキャップを基にしてるんですけど、M型はどうしても中央に角が出てしまうので、「ちょっとヒップホップ感が足りない」というお話をしてくださって。それでフロントをかまぼこ状の形にして、フロントパネルが立つような作りしたんです。

 

 

Ryohu それを見て、「こんな形あるんだ。めっちゃ面白い。見たことないから最高」って、即決して。

 

CA4LA あと家を出るときに、サイズ調整をせずにパッとかぶって、すぐ自分の頭のサイズに合うキャップが欲しいというリクエストをいただいたので、後ろをシャーリングにすることで、サイズ調整せずにすぐかぶって出られるっていう仕様を提案させていただきました。

 

Ryohu 最初は中にゴムを埋め込もうと思ったんですけど、ちょっと違うかなと思った中で今のアイデアを持ってきていただいて、かっこいいなって。自分でサイズ調整すりゃあいいじゃんって話なんですけど。でもちょっと違うことがしたかったし、楽さを取りました。あと、無地だとなんのキャップかわからないから、「文字を入れませんか?」っていう話があって、手書きのサインを刺繍で入れる案もあったりしたんです。ただ、そのときネームの話もしてて、僕が何の気なしにネームを外に当てて、「ネームタグが外に出ちゃってるってヤバくないですか?」って言ったら、それを採用してくれて。これなら一発で誰の帽子かわかるし、気になる人は外してくれてもいいし。

 

CA4LA 4点止めでわりと簡単に取れるので、自分の好きなところに付け直すこともできます。

 

Ryohu Tシャツにつけてもいいですしね。まあ、これは遊び心です。これかぶってるやつ見かけたら、声かけちゃうかもしれない(笑)。

 

もともと「楽しいから」が音楽をやる理由で、そこから大人になるに連れていろんな変化もあったけど、でも根底にある「楽しいから」という動機自体は変わってないというか、今回のコラボアイテムからもその精神性を感じます。

 

Ryohu ちょっと俯瞰で見てるというか、「僕がやるからには」みたいなところがあるんですよね。たとえば、「こういう音楽が聴きやすい」とか「こういう音楽が今っぽい」とか、世の中にある正解は理解した上で、それが似合うならそれをやっていいと思うけど、僕がそのままやるのは面白くないと思っちゃう。どうしても頑固な面が出てきて、嫌だなって思っちゃうんですよね。今回のキャップのネームタグにしても、そのうち「普通に内側に付けとけばよかったじゃん」ってなるかも知れないけど。ここは僕の子供っぽさというか。やっぱり「普通だったらこうだけど」みたいなところから、何か一個ずらしたくなるんですよ。即興性を入れたくなるっていうか、そこはずっと変わらないですね。

 

 


 

Ryohu
HIPHOPクルー・KANDYTOWNのメンバーとしても活動する東京都世田谷区出身のラッパー/トラックメイカー。 10代より楽曲制作を始め、OKAMOTO'Sのメンバーと共にズットズレテルズとして活動。 2016年にKANDYTOWNとして1st AL『KANDYTOWN』をWarner Music Japanからリリース。 2017年にはソロとして本格始動し、EP『Blur』(2017年)、Mixtape『Ten Twenty』(2018年)を発表。 2019年に5都市で開催されたソロツアーは大盛況のうちに幕を閉じた。 2020年には、GU×SOPH.のコラボレーション・コレクション「1MW by SOPH.」への楽曲提供、イメージビジュアルとしても参加。 同年11月には、「App Store」のCMソングに使用された楽曲「The Moment」を収録した1st ALBUM『DEBUT』をVictor/SPEEDSTAR RECORDSからリリース。 2022年4月、5ヵ月連続リリースの第一弾としてSuchmosのVo.YONCEを客演に迎えた楽曲「One Way feat.YONCE」をデジタル・リリース。 これまでに、Base Ball Bear、Suchmos、ペトロールズ、OKAMOTO'S、あいみょん、冨田ラボ、TENDRE、AAAMYYY、Reiなど様々なアーティストの作品に客演として参加する。

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Ryohu Digital Single「One Way feat.YONCE」
Release Date:2022.04.06(wed)
Download/Streaming: https://jvcmusic.lnk.to/OneWay