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CA4LA MUSIC CONNECTION vol.7
フィッシュマンズ・茂木欣一

「今」を鳴らし続けるためのターニングポイント


 

アーティストたちにとって、作品を生み出す過程やその時々の活動の源泉には、必ず何かの転機が存在している。

「CA4LA MUSIC CONNECTION」は、アーティストのみなさまに、ご自身の活動のターニングポイントになったことを取材させていただく連載企画。

第7回目にご登場いただくアーティストは、フィッシュマンズの茂木欣一さん。

1991年にシングル『ひこうき』でデビューし、レゲエ/ダブを軸にしつつも多彩なジャンルを飲み込んだ音楽性と、フロントマン・佐藤伸治の存在感のあるボーカル、独自の詞世界によって多くの人々に愛されたフィッシュマンズ。1999年には佐藤の逝去により一時活動を休止するも、茂木欣一を中心に2005年の「RISING SUN ROCK FESTIVAL」で再始動を果たすと、その後もコンスタントにライブ活動を続け、現在では日本のみならず、世界中にファンを持つバンドとなっています。7月9日より公開される『映画:フィッシュマンズ』は、これまで明かされていなかったバンドの内幕が、メンバーや親しいアーティスト、関係者らによって語られる、フィッシュマンズドキュメントの決定版。そこで今回は茂木さんに映画についてはもちろん、映画では語られていない再始動の経緯、そして、CA4LAとのコラボレーションで制作されたキャップについてもお話を伺いました。

Text by Atsutake Kaneko
Photo by Kana Tarumi
Hair Make by Chiaki Tsuda

 


 

Interview:フィッシュマンズ・茂木欣一

 

 

「フィッシュマンズのことを題材にした映画なんですけど、これを観た一人ひとりの映画でもあるなって。人生の中に大なり小なりあるターニングポイントが、未来を決めていくんだっていうことを教えてくれる映画というか」

 

まずは完成した映画をご覧になっての感想を聞かせてください。

 

(C2021 THE FISHMANS MOVIE

茂木 これまでフィッシュマンズに関わってきた仲間たちが、僕が全然知らなかったようなことをカメラの前でしゃべってることにまず驚きました。もちろん、今回の映画に対しては、前もって「協力してほしい」とは伝えていたんですけど、僕以外はみんな一度は脱退してるメンバーだったりするから、結構デリケートなところも突っ込んだりはするよなあと思っていて。でも、カメラが回っている中で、語りにくいであろうこともすごく正直に語っているメンバーの姿が見れて、そこが一番の驚きでした。

 

まさに、みなさんがそれぞれの想いを包み隠さずにしゃべっていらっしゃいますよね。

 

茂木 デビューから30年経った今だからこそしゃべれたこともあったと思うので、すごくいい機会になったなと思います。あと、一個人としてこの映画を観て感じたのは、もちろんフィッシュマンズのことを題材にした映画なんですけど、これを観た一人ひとりの映画でもあるなって。今日のインタビューのテーマが「ターニングポイント」とのことですけど、まさに人生の中に大なり小なりあるターニングポイントが、未来を決めていくんだっていうことを教えてくれる映画というか、自分があのときあれを選んだ/選ばなかったとか、そうやって決めたことの一つひとつが未来を作っていくんだっていうことを教えてくれる映画だと思いました。

 

一つひとつが未来を作っていく、まさに「A Piece Of Future」(フィッシュマンズの曲タイトル)ですね(笑)。

 

 

茂木 やりますねえ(笑)。でもホントそうですね、「A Piece Of Future」か、なるほど。そのときそのときで語らってる相手との言葉が未来を生むっていうのは、その通りですね。

 

映画の中で語られているエピソードは、茂木さんでも知らなかったことが多かったんですね。

 

茂木 バイオグラフィー的には、例えば「1994年5月、小嶋謙介脱退」とかってなるわけじゃないですか? でも、その行間で何が起きてたのかっていうのを、ここまで知ることはなかったというか。フィッシュマンズって、基本的に音で切磋琢磨するバンドだったんです。リハーサルが終わってから語らってる時間の方が長いバンドもいるのかもしれないけど、フィッシュマンズは音を鳴らしてる現場が中心で、音が鳴ってないところで彼らがどういう気持ちの揺れ方をしてたかっていうのがここまでわかったのは初めてですね。

 

特に印象的だったり、驚きだったのは、誰のどんなエピソードでしたか?

 

茂木 小嶋さんが「(フィッシュマンズは)自分にとって最後のバンド」って言ってたじゃないですか? 自分で新しいバンドを立ち上げることもできるのに、「これを最後のバンドにする」と決めたんだっていうのはすごいことだなと思って、それは結構びっくりしました。自分は音楽を手放すことはとても考えられないので、「めちゃめちゃ頑張って練習するしかない」と思うか、そもそもの方向性が全然違うと思ったら、新しいバンドを自分で立ち上げると思うんですよ。でも、小嶋さんはすごく音楽を愛しているにもかかわらず、「ここで終わり」という決断をして、そこから道を変えていったわけで、それはすごい勇気だよなと思いました。

 

 

 

「『これが最初で最後だ』って、みんなが思ってくれたんだと思います」

 

 

フィッシュマンズというバンドを描いた映画ですけど、そこに関わってきた一人ひとりの人生や音楽との向き合い方が折り重なった作品とも言えますよね。

 

茂木 そう、だからHAKASE-SUNに関しても、彼は技術的にもすごく持ってるものがあったから、おそらくフィッシュマンズだけじゃなくて、いろんな外部の人たちともセッションをしたくてやめたんだろうなと何となく思っていたんですけど、いざ彼の口から出てきた言葉を聞くと、精神的にかなり投げやりになった時期もあったみたいで、そういう言葉を聞くとドキリとするというか。自分が勝手に「あいつこんな感じだろうな」と思ってたのとはずいぶん違うもんだなっていうか、一人ひとりの葛藤はやっぱり本人にしかわからないものなんだなって思いましたね。

 

メンバーとしてずっと身近にいらっしゃった茂木さんでもそう感じるんですね。

 

茂木 すごく感じました。映画の中で、僕が「佐藤くんに歌詞の意味を聞かなかった」と言ってる場面があって、「今だったら聞くと思う」とも言ってますけど、でもやっぱり20代の自分は聞かなかったと思うんです。そこには触れずに、ただ佐藤くんの作ったものに対して取り組んだ方が、正しい接し方のような気がする。今自分は50代ですけど、20代と50代だと接し方も違うんだろうなっていうのはすごく感じて。

 

そこもやはり、デビューから30年経った今だからこそ感じられる部分かもしれないですね。

 

茂木 「こういうことをいつ語るんだろう?」と考えていたわけではないですけど、映画の話をもらったことで、語る場面が生まれて……今は語ったことによってすごくスッキリしてるというか、頭の中が少し整頓されたような感じがあります。もちろん、だからといって佐藤くんが戻ってくるわけじゃないし、「人が亡くなったことをどう割り切ればいいんだろう? いや、割り切れないでしょ」みたいなことは思うんだけど、それでもこれまでとは何かが違う。フィッシュマンズとの接し方、佐藤くんとの接し方……上手く言葉にはできないけど、映画で語ったことによって、何か踏ん切りがついたようなところはあるというか。

 

言語化することによって整理されることは間違いなくあって、それも今回の映画に出てくる一人ひとりがそう感じているように思います。

 

茂木 うん、みんなそうなんじゃないかな。さっきも言ったように、フィッシュマンズは佐藤くんの楽曲をベストな形で奏でるための集団であって、心の中を語り合うことはあんまりなくて、それこそ、飲み会とかも全然しないバンドだったから。佐藤くんがお酒飲めないからね。だから、音楽的なところとは違う部分での喧嘩もほとんどしたことないし。

 

やはり、今回の映画はかなり貴重な機会だったわけですね。

 

茂木 そうですね。「これが最初で最後だ」って、みんなが思ってくれたんだと思います。

 

 

 

「ノスタルジーでフィッシュマンズをやる発想はそもそもなくて、佐藤くんの言葉はいつの時代でもビシビシ響いてくるから、だったらそれを今の力で伝える必要があるよねって、それは常に思っていることですね」

 

映画の中ではバンドにとって思い入れの強い場所がたくさん出てきて、茂木さんは映画の後半で日比谷野外音楽堂を訪れています。改めて、フィッシュマンズと野音の関係性について話していただけますか?

 

 

茂木 フィッシュマンズが主催する『闘魂』というイベントの会場が日比谷野音だったんです。最初が1997年で、SUPER BUTTER DOGやYO-KINGが出て、1998年はBuffalo Daughterとの2マンで、音楽の真剣勝負というかね。そもそもで言うと、映画でもちょっと出てくるけど、デビューした年の9月頭に新宿のアルタ前の広場でライブをやったことがあって、たぶんそれが僕らの野外での演奏デビューだった気がするんだけど、そのライブがすごく楽しかったんですよ。もしかしたら「5人のフィッシュマンズで一番楽しかったライブ、あれだったんじゃない?」っていうくらいのライブだったんです。佐藤くんは街を歩きながら言葉を紡いでるような感じの人だから、閉鎖されてるようなところじゃなくて、屋外の日が当たってるような場所で言葉を発する方が、自分の曲が自然に鳴ってる気がしたんじゃないかな。あの日の佐藤くん、ホント機嫌がよくてね(笑)。

 

映画を見直してみます(笑)。

 

茂木 それもあって、野音で『闘魂』を始めたわけですけど、野音でのライブはどれも全部思い出深いものばかりです。1998年の10月にやったライブは、ステージ上にジャングルみたいに植物をウワーって並べて、その中から僕らが登場するみたいな感じだったり、ホントに忘れられないいい瞬間がたくさんあって。フィッシュマンズの音楽を鳴らすのにものすごく適した場所というか、そういう記憶はすごくありますね。

 

楽曲の中で描かれている雲や空とリンクしていて、しかも、街の中にそういう空間がある特別さというか。

 

茂木 ホントにそうですね。見上げればそこにビルがあって、それこそ飛行機が飛んでるような感じとか、あの中で佐藤くんの歌詞が歌われることが一番理想的かもしれない。

 

2019年に『闘魂』が20年ぶりに復活をして、今回映画が公開されるというのも、連続性を感じます。

 

茂木 確かに、そうですよね。2019年はちょうど佐藤くんが亡くなって20年目だったので、そういう節目のタイミングは大事にしようと思っていて。例えば、佐藤くんの十三回忌が2011年で、そのときはそれこそ野音でライブをやっていて。

 

そのときのタイトルが『A Piece Of Future』でしたよね。

 

茂木 そうなんです。なので、2019年の『闘魂』は映画の話が決まる前にやることを決めていて、僕らなりに、何か音で区切りをつけるような気持ちだったというか。なので、映画でも観ていただいたと思うんですけど、「ゆらめきIN THE AIR」で佐藤くんの声と、HONZIのヴァイオリンが本番中に合流する、ということをやってみたりして。

 

あれはフィッシュマンズが今を生きていることを実感させられるような体験でした。

 

茂木 そう言ってもらえるのが一番嬉しい。今を感じられるようなことをやらないと、もう一度フィッシュマンズの名前を立ち上げる意味がないと思っていたから。ノスタルジーでフィッシュマンズをやる発想はそもそもなくて、佐藤くんの言葉はいつの時代でもビシビシ響いてくるから、だったらそれを今の力で伝える必要があるよねって、それは常に思っていることですね。

 

 

「(フィッシュマンズの再始動は)ベスト盤を作ったことが一番のきっかけですね」

 

1999年から活動休止状態だったフィッシュマンズが実際に活動を再開したのは2005年の「RISING SUN ROCK FESTIVAL」でのライブからでした。いかにして再始動に至ったのかを改めてお伺いしたいです。

 

茂木 一番大きかったのは、2005年の4月に出た『空中』と『宇宙』というベスト盤です。僕らの音源はポニーキャニオンとポリドールという二つのレコード会社から出てるんですけど、「両方の会社の音源を混ぜてもいいから、ベスト盤を2種類作ってほしい」と言われて、その選曲と曲順を2004年に考えたんです。もともと90年代もアルバムの曲順は僕が考えていたので、そういうのを考えるのは大好きだったから、ベスト盤なんだけど、古い順とかではなくて、オリジナルのものを考えているうちに、「この曲順でライブやったら最高だろうな」っていう選び方をしてる自分がいたんです。

 

なるほど。

 

茂木 それはホントにたまたまだったんですけど、それを流れで聴いたら、これは2005年にライブをやらずにはいられないと思ったんですよね。リリースを持ちかけられたこと自体、「聴きたい」っていう気持ちを持ってくれてる人がいるから、そういう話になったんだと思うし、実際に編集をしたら、たくさんの反響があって、それも後押しになりました。なので、やっぱりベスト盤を作ったことが一番のきっかけですね。

 

ベスト盤の話がある以前から、「いつかフィッシュマンズをやりたい」とは思っていたのでしょうか?

 

茂木 「いつかフィッシュマンズでライブをする必要がある」っていうのはずっと思ってました。ただ、やり方がさっぱりわからなかったし、あとフィッシュマンズの活動が止まった後に、僕はスカパラ(東京スカラパラダイスオーケストラ)に入ったので、スカパラの活動をちゃんと軌道に乗せないといけないという責任感がすごくあったんです。スカパラの新しいサウンドを形作るのもそこそこに、フィッシュマンズの活動を再開させるわけにはいかない、まずは僕がスカパラのドラマーになったことを認めてもらわないといけないっていうのはすごく思ってました。そんな中で、スカパラは2003年と2004年にヨーロッパツアーをやって、バンドとしての一体感がものすごく生まれて、その流れで作った新しいアルバムにも手ごたえを感じたんです。そこにフィッシュマンズのベスト盤の話が来たので、「今だったらアリかもしれない」っていう想いが自分の中に生まれた感じでした。

 

 

そこでのタイミングの合致が再始動へのターニングポイントになったと。

 

茂木 うん、「ここじゃないかな」と思いましたね。

 

「音源で聴いても満足してもらえると思うけど、フィッシュマンズの楽曲の一番の醍醐味はライブで鳴らされることで、それは佐藤くんが一番強く言ってたことでもある」

 

さきほど「やり方がわからなかった」という話もあったように、佐藤さんがいない中でどうライブをやるのかという問題も当然あって、結果的には複数のゲストボーカルを迎え入れる形でのライブになりました。これはどんな流れで決まったのでしょうか?

 

茂木 新しい世代というか、00年代以降に活躍してる人たちと交わることで、フィッシュマンズの音楽を繋げていけたらすごくいいんじゃないかと思ったんです。それで信頼できる歌い手に、UAだったり、(永積)タカシだったり、(原田)郁子ちゃんだったりに声をかけたのが始まり。そうしたら、そこに(忌野)清志郎さんが加わるというミラクルな展開も起きて、そこは見事に繋がりましたね。清志郎さんは佐藤くんが十代の頃に相当影響を受けたアーティストであることは間違いないですから。

 

「ノスタルジーでやる発想はそもそもない」という話もあったように、下の世代とやることは前提にしつつ、そこに自分たちよりさらに上の世代、ルーツとなる世代も加わって、本当に「繋いでいく」ということを体現するステージになりましたよね。

 

茂木 あれはホントに出来過ぎな感じというか、「これでよかったんだ」って、ステージ上でも思ったし、「これだったら、佐藤くんもわかってくれるよね」みたいな気持ちで、ちゃんと届けられるなと思ったのも覚えてます。

 

その一方では、やはり「佐藤さんじゃないと」という声もあったと思うので、少なからずプレッシャーもあったと思うのですが、そのあたりはいかがでしたか?

 

茂木 「佐藤くんじゃなきゃダメ」っていう意見は百も承知というか、それはとっくにわかってますっていう前提でやっていて、僕はそれに対して何かを言われることよりも、フィッシュマンズの楽曲が鳴らされなくなることの方が怖かったんです。もちろん、音源で聴いても満足してもらえると思うけど、フィッシュマンズの楽曲の一番の醍醐味はライブで鳴らされることで、それは佐藤くんが一番強く言ってたことでもある。やっぱりライブで響いてこそのフィッシュマンズの音楽なんですよね。

 

よくわかります。

 

茂木 あと、ライジングのスタートは1999年で、フジロックもスタートは1997年だけど、苗場で本格的になっていくのは2000年以降で、21世紀も佐藤くんが普通に元気でいたら、絶対この景色を観てるはずなんですよ。ライジングのSUN STAGE、フジロックのGREEN STAGEやFIELD OF HEAVEN、「この景色観てるよな」って思うと、その場所に立たずにはいられないというか、そういう想いも少なからずありました。「このステージででっかい音鳴らして、サトちゃん思いっ切り動きたかったよね」って、正直なところ、そういう想いもあります。物語の続きを奏でたいっていうかね。

 

その意味では、さきほど話に出た2019年の『闘魂』ではさらに下の世代であるceroと共演していて、今も物語が続いていることの証明にもなっていたなと。

 

茂木 ceroは一番新しいアルバム(『POLY LIFE MULTI SOUL』)のリズムの構築がすごくショッキングで、どうしても対バンしてみたかったんですよね。新しい世代の才能と同じステージに立って音を鳴らしたくて、それこそまさに『闘魂』だなって、自分なりに思ったんです。

 

 

ceroとの対バンはより下の世代がフィッシュマンズを発見するきっかけにもなったと思うし、今回の映画もそういうさらなる繋がりを生むものになるだろうなって。

 

茂木 そうなると嬉しいです。でもホント、21世紀になってから、こんなにあちこちで「フィッシュマンズ聴いてます」とか「大好きなんです」って言われるとは思ってもなくて。

 

今や国内だけでなく、世界中にフィッシュマンズを愛している人がいるわけですからね。

 

茂木 「Rate Your Music」(アメリカのデータベースサイト。世界的に評価の高い歴代の名盤に混じって、フィッシュマンズが上位にランクインしている)のあのチャートは僕もびっくりしました。「こういうことって起きるんだな」って。ただ、驚きと同時に、僕の中でフィッシュマンズの音楽は絶対的にナンバー1の音楽で、本当に大好きな音楽だから、「聴いたら絶対好きになっちゃうよね」としか言いようのない自分もいるというか。そういう音楽だと前から思ってたけど、それがより確信に変わりました。

 

「これからはこの帽子をかぶってる子がいたら、ハイタッチですよ(笑)

 

 

最後に、CA4LAのディレクター・秋元信宏さんにも加わっていただいて、帽子についてお話しできればと思います。映画の公開に伴って、CA4LAとのコラボレーションによるキャップも制作されています。

 

秋元 僕の中でフィッシュマンズはずっと帽子のバンドなんです(笑)。今回映画を観させていただいて、佐藤さんは昔の映像でも結構帽子をかぶっていて、しかも「それどこのやつ?」って興味が湧くような、すごい面白い帽子をかぶってるんですよね。

 

茂木 佐藤くんは常に帽子をかぶってる印象ありますね。しかも、かぶり方がオシャレなんだよなあ。すごく自然に、体の一部のような感じでかぶってた。フィッシュマンズの中だと、僕が一番かぶんないかな。

 

譲さんも帽子のイメージありますもんね。

 

茂木 そう、譲はいつも「ファミリー」の帽子をかぶってた(笑)。でもホント、サトちゃんは上手くかぶってたなあ。『King Master George』のときに帽子を5つくらい乗せてる写真もあった気がする。

 

秋元 なので、今回コラボレーションのお話をいただいて、即答で「やりたいです」ってお伝えして。

 

茂木 この帽子、いいですよね。佐藤くんもめっちゃ喜びますよ。

 

 

ちなみに、茂木さんご自身は昔からあまりかぶらないですか?

 

茂木 一時期はかぶってたんですけど、僕ドラムを叩くとき動きが大きいので、かぶっててもすぐ飛ばしちゃうんですよ。なので、アクセサリーとかも演奏するときは全部外すタイプです。佐藤くんとかを後ろから見ながら、「みんなオシャレでいいなあ。でも俺はなあ……」みたいな(笑)。

 

フィッシュマンズのときの茂木さんは身軽な格好が多いですもんね。

 

茂木 大体「Tシャツ、短パン」っていうね(笑)。でも佐藤くんは帽子だけじゃなく、全部がオシャレで、古着の重ね着も上手でした。真夏にダウンを着てフェスに出たりして、でもそれも似合うんですよ。ちゃんと計算されてるんだと思う。映画の中で佐藤くんが絵を描くシーンありますけど、サインのときもサーってイラストを描いたりして、バランス感覚がいいというか。きっとファッションに関しても、こういう角度で帽子をかぶったらシルエット的にベストだろうなって、感覚的にわかってたんだと思います。

 

音楽、イラスト、ファッション、全部繋がってるんでしょうね。

 

茂木 そうだと思います。例えば、歌詞ひとつ取っても、佐藤くんが僕らに提示するときはほとんど完成してる状態なんです。でも、きっとそれまでにすごい量の添削をしてるはずなんですよ。ファンクラブの会報に佐藤くんの詩のコーナーがあって、そこにあった詩が「ずっと前」の歌詞になったんですけど、そこで元の詩からの研ぎ澄ませ方がわかって、やっぱりすごく家で考えてるんだなと思って。それと同じで、ファッションとかも家の鏡の前で相当しつこく試して、こだわってこだわって外に出る、みたいな感じなのかなって。

 

感覚と努力と、きっとその両方があったんでしょうね。

 

秋元 佐藤さんとはいつかお会いしてみたいと思ってたんですけど、こういう形でCA4LAとして関われてすごく光栄です。

 

茂木 若い子にいっぱいかぶってほしいなあ。「フィッシュマンズ聴いてるんだ、僕も聴いてる」ってなると、仲良くなるスピードがめちゃめちゃ速くなるとか、そういう関係性ってホントいいなと思っていて。人と人との間にお互いが好きな音楽があるだけでこんなにも親密になれるのかって、ライブはその究極ですけど、「こんなにお客さんと気持ちが繋がれるんだ」っていつも思うんですよ。

 

 

フェスとかで「I’M FISH」Tシャツ着てる人を見ると、それだけで「だよね」ってなりますもんね。

 

茂木 ライジングとかでみんなと同じ導線で移動してるときに、「I’M FISH」Tシャツを着てる子を見るとハイタッチとかしちゃいますもんね。これからはこの帽子をかぶってる子がいたら、ハイタッチですよ(笑)。

 

 

 


 

 

(C2021 THE FISHMANS MOVIE

茂木欣一 KIN-ICHI MOTEGI

1967年生まれ、東京都出身。1987年、明治学院大学在学中に佐藤伸治、小嶋謙介とともにフィッシュマンズを結成。ドラムを担当。91年、「ひこうき」でメジャーデビュー。2001年、東京スカパラダイスオーケストラに正式に加入。2005年、ゲストヴォーカルを招き、フィッシュマンズの活動を再開。以降不定期ながらライブ活動を行っている。2019年はフィッシュマンズデビュー30周年でもある。

 


 

「映画:フィッシュマンズ」

7/9(金)より新宿バルト9、渋谷シネクイント他全国公開

監督:手嶋悠貴 出演:佐藤伸治、茂木欣一、小嶋謙介、柏原譲、HAKASE-SUN、HONZI、関口“dARTs”道生、木暮晋也、小宮山聖、ZAK、原田郁子、ハナレグミ、UA、YO-KING、こだま和文
企画・製作:坂井利帆
配給:ACTV JAPAN/イハフィルムズ